大往生をつくる
青梅やよみうりランドで、終末期医療の病院を経営している大塚宜夫医師は 超高齢社会の今日にふさわしい「大往生」の提案をしています。
40年近く前、大塚先生が相談された老人病院の現状はまさに現代版「姥捨て山」で、狭い畳敷きの部屋に布団を敷いて、高齢者がごろ寝していて、部屋は異臭がして、入院者の多くは3か月足らずで亡くなっていったと言います。そのあまりの状況に、究極の終の棲家となり、家族では見切れない現実の高齢社会に新しい価値を作ろうと、自ら老人病院の開設に踏み切ります。ですから、「病院」ではありながら、生活の場の充実を目指し、そこで自分が大切にされている居心地の良さを感じてもらえるようにし、高齢者の日々の喜びである「食事がうまい」を重視しています。実際、介護の現場でも 人間の最後の欲望は「食欲」かなと思うことが良くあります。80代、90代になると、食べられる量は限られます。ですから、一口でも「おいしいな~」と思う料理を口に入れて頂くと、口全体から満足感が広がり、心の中を余韻で満たします。
そして、大塚先生は 医療面では 余命の見極めと、苦痛でない医療に重点を置いています。つまり「苦しい長生きより豊かな一日を」という事です。 高齢者医療の現場で35年以上携わり、大塚先生は今日の「大往生」を3つの観点から定義します。
「大往生」とは、①惜しまれながら旅立つ、②穏やかな最期、③関係者への余韻、です。
①については介護の大変さを家族に代わり、病院や介護職が引き受ける。②については延命医療として病院で管付けにするのでなく、病院でも在宅でも、食が細くなっていって枯れる様に、眠る様になくなる。③は家族が余裕を取り戻すことにより、寿命観や限りある人の命について、孫や子に伝えられることがある、と言います。
現代社会でこうした「大往生」を阻止しているのが、介護は家族が看るべきという社会常識であり、高齢者医療について、医学教育において「寿命観」が未確立で、高齢者医療においても医療としてやるだけやるべき、という呪縛だと言います。
やはり お医者さんの中に、大塚先生のような哲学を持った先生が増えて行ってくれたら、と思います。